ちょっと長い関係のぶるーす

secondhand books 「六月」のブログ

冬といえば


伊藤比呂美

 冬になると、私たちの周りは、根菜類ばかりになる。秋に穫れるイモ類やニンジン、葱を私たちは厳重に布でくるみ、冷たい場所に置いておく。たとえば地下室。階段をおりてゆくと、空気は途端に冷たく単純になる。くらやみに慣れてくると、その棚いちめんに、でこぼこした麻の袋が置かれてあるのに気づく。階段の下もでこぼこの袋でいっぱいだ。懐中電燈にてらされて、袋は影をかかえている。ひょっとした拍子に、袋がもぞっと動いたような気もする。それほど、ならぶ袋たちは立体的にでこぼこである。私たちは二~三日に一ぺんくらいずつ、やさいを取りに来て袋をあける。
 古い年のうちに、葱はたべつくされてしまう。葱はイモのようには長くもたないのだ。私たちは十二月にはいると、葱を急いで消費する。毎日、葱汁をのむ。十二月も半ばをすぎると、葱の青い部分からどろどろに溶けてくる。私たちは、残った葱をすべてざくんざくんに切り、あたらしくあけた袋からジャガイモを取って、いっしょくたに煮こむ。発酵した豆で調味されるこのスウプに、私たちは新鮮なイモのだしを味わって、満足である。それ以後、ニンジンとイモ類からヴィタミンをとり、四か月を暮らす。
 雪というものがふらない冬である。ただ、大地から木々から、家々から、すべてが温度を失っていく。空気が奇妙にひくく垂れこめて、景色は、空の下にぎっちり圧しつぶされた様子を見せる。冬も深まるにつれ、澱むようだった空気から湿度がひいていく。そこいらいったいぱりぱりに乾き、痛いくらいまで冷たくかたまる。道は空洞になったように思われ、表面を固いもので、カン、と叩くと、音はカラコロカラコロ転がっていってしまう。道の行きどまりに立つ壁にぶつかってはね返る音が聞こえる。
 そのころ、〈じんのそり〉とよばれる北西の風が吹くようになる。息のねににた絶えまない風は、なにもない路上に小さなたつまきをうみ、乾いた土や木のかけらをあつめ、私たちの衣服のすきまからはいりこんで皮膚をかすめる。〈じんのそり〉という名も、冬の尽きるころ=尽(じん)に吹く刃物のような風という意味だろう。あるいは、刃=じんを補って、そりをつけたのかもしれない。しかし、すべてを吹きはらう風は空を美しくする。昼間は蒼々として高いところにつづき、夜は星で埋めつくされる。冬には青白く瞬きの激しい一等星が多くなる。
 私たちは、この寒さを〈あざやぎ〉とよんで、厚い毛織のオーヴァを着て道をあるく。
  
「草木の空」(アトリエ出版企画 一九七八年)
 「伊藤比呂美詩集」(思潮社 一九八〇年)

5日め